銀杏BOYZについて語る座談会 [峯田和伸 x 村井守 x 磯部涼 x 九龍ジョー]

構成:小田部仁
写真:村井香

磯部 当時を思い返してみると、その後にメンバーが次々と脱退して枝分かれしていくことが想像できなかったっていうか、個人が見えなかったんですよね。まるで塊みたいだった。各パートとかじゃなくて、全員でひとつのノイズを鳴らしてるっていうか。

村井 あの頃、ちょうどアルバムの半分はレコーディング終わってたんだよね。で、ツアー終わってすぐ東京に戻って「ぽあだむ」の歌録りしたんです。2008年のライジングサンの時は、各々自由なんすよ。一個の塊ではあるんですけど。

九龍 そうなんだよね。伸び伸びしてるもん。

村井 だけど、岩手でのライブはもう各々っていうのがなくて。切羽詰まってって。

峯田 笑えなかったもんな、あの頃な。

磯部 結構、負荷がかかってた感じ?

村井 負荷ってマイナスな感じは全くないっすけどね。表には出てなかったですけど、メンバーの中では常に戦ってはいたんですよ。

峯田 シンプルにいうと、2011年は生活かかってたんです。レコーディングがぐずぐずしてて、お金が入ってこない。もうちゃらんぽらんでやってらんねえなっていうのがあった。

村井 アレンジを何回もやって。その時その時のライヴが完成形なんですよね。だからレコーディングもゴールが見えてるんですよね。で、いろいろやれなくなってきて自由度が低くなる。

磯部 ようするに、延々と同じ曲をやってるから、アレンジを膨らませるみたいな余地がなくなって、研ぎ澄ませていくしかない。で、精神的にも追い込まれていくと。

村井 バンドとしてはすっごい良いことなんですけど。個人個人としては、割と切羽詰まっちゃう。

九龍 そのぶん、サウンドは後の『光のなかに立っていてね』に繋がるすごい領域にいってるんだけどね。

峯田 俺はなんとなく見えてたけど。周りは大変だっただろうな、あの時期。これがどういう作品になるかっていうのは、わからなかったよね。

磯部 ちなみに、新しいメンバーを見つけていく過程はどんな感じだったんですか?

峯田 最初は、ソロのプロジェクトじゃなくて、がっちり、あの4人で銀杏BOYZみたいな感じでやろうかなって思ってたんすよ。でも、アビちゃんと村井くんとチン君の、あの銀杏のグルーヴを求めるとまた失敗するなって。また、誰かにしんどい思いさせちゃうなって思って、それよりも、あれはもうやりきったもので、磯部さんの本のタイトル「音楽が終わって、人生が始まる」じゃないけど、次は俺が作った曲が主人公になるバンド。演奏が上手い人で、曲さえちゃんと形にしてくれる人ならいいのかなって思って。

磯部 ソロ・シンガーとして「峯田和伸」を名乗るのは嫌だから、「銀杏BOYZ」として続けたいとも言ってましたよね。

九龍 今回のコメンタリーを聞いてても、峯田和伸が銀杏BOYZから分かれているっていうか、峯田君が銀杏を客観的に分析しているのが面白かった。またあたらしい銀杏BOYZ像をつくるって感じ?

峯田 ああ、違うバンドに見えるっていうか、曲も同じのやってるけど違うんだよね。でも決して嫌な違い方じゃないんだよね。

磯部 今のサポートメンバーとはずっと一緒にやっていくつもりでいるんですか?

峯田 いや、今のところは、このメンバーでやるのが気持ちいいかなって。でも、ギターやりたいとか、ドラムやりたいとか、誰かいれば「やる?」みたいな感じ。

九龍 この間、新体制の銀杏のライヴを幕張メッセで見たんだけど、銀杏を見たことないっていう若い子たちがたくさんいて、「あの銀杏BOYZのライヴが見れるんだ!」みたいな空気になってたのね。そこで一曲目に「生きたい」をやったんだけど、あの曲は「人間」「光」と続く三部作的な位置づけもあると同時に、峯田君一人の弾き語りから始まって、途中から新しいメンバー編成のバンドセットに移行するので、今の銀杏BOYZのプレゼンテーションにもなってると思った。

磯部 GOING STEADYと銀杏とではメンバーはほぼ同じだけど、音楽性がガラっと変わったように言われてましたよね。ただ、実際にはGOING STEADYの後期=「童貞ソー・ヤング」辺りから徐々に変わっていって。一方、銀杏第一期と第二期とではメンバーはガラっと変わったけど、音楽性は峯田くんがシンガーソングライターとして引き継ぐんだっていう宣言のように聴こえた。「生きたい」は。

峯田 本当はものすごいポップな曲を歌いたい。でも、メンバー抜けたとか、失恋したとか、自分の悔やむところとか、無念なところとかを出した上で、そこからスタートしないとダメだっていう風に思っていて。だから「人間」、「光」の次に、「生きたい」を出さざるをえなかった。

九龍 「光」は部屋の中で基本的に閉じこもってる曲だけど、「生きたい」は部屋の外に出たよね。街を彷徨って何かにしがみつこうとしている。

峯田 「生きたい」では最後、電車の中にいるんですけど。自分の中ではやっと終われたかなっていうのがあって。

磯部 重い曲調だけど、「あいどんわなだい」…つまり、「死にたくない」っていう消極的な表現から、「生きたい」っていう積極的な表現まで、9年かけて、ようやく、半歩進んだっていう風にも捉えられますよね。

峯田 メンバー抜けて一曲目新しい曲でどれがいいかなってなった時に、きらびやかで、決意表明で、これから頑張りますよっていう歌は、作れなかったんです。それまでに溜まったものを出すっていう曲を作るしかなかった。

磯部 要するに、新たな出発を宣言するっていうよりは、落とし前をつける曲だと。

峯田 震災の時にこうゆう曲作ろうって思ってたんだよね。最初は、原発とかに対して、自分はこう思うっていう曲で。でも、だんだんだんだん自分のパーソナルな歌詞になって、原発とかそういう対日本みたいなやつはどんどん少なくなってちょっと残したぐらいで。光があるから、「光のなかに立っていてね」に入れようっていうのはなかったんだけど、次はこれだなって思ってた。

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